1月27日(金)
歌舞伎俳優
中村壱太郎さんの
トークイベントに行ってきました。
会場は
兵庫県尼崎市の
ピッコロシアターでした。
開場15分前にピッコロシアター着。
整理番号をもらうと195番。
ヒエー!
他の皆さん何時に来ていたの?
まぁいい。
ピッコロシアターはキャパ少ないから後ろの方でも
よく見えるだろう。
開場・・・
チケットをもぎってもらって
客席へダッシュ!
なんとか3列目の席をゲットできました。
13:55 1ベルが鳴る
14:00 2ベルが鳴る
幕の前で館長のご挨拶です。
「ピッコロシアターの文化セミナーも今回で90回目になります。
文化セミナー始まって以来、最年少です。」
「壱太郎さんに舞を披露していただくことになりました。」
客席大拍手
「曲は三番叟です。」
客席大拍手
「どうぞお楽しみ下さい。」
幕が上がる。
松羽目の舞台。
揚幕が開いて壱太郎さん登場。
櫓三番叟
14:12終了
トークショーの準備
14:15
聞き手 産経新聞文化部編集委員亀岡典子さん登壇
壱太郎さん、舞台へ再度登場
「すごい人ですね。満席ありがとうございます。」
「成駒家!」と大向うさんの声が飛ぶ
「ありがとうございます。」
亀岡さん質問「2ケ月続けて同世代の役者さんと舞台を務めることになりますが、
どうですか?」
「1月は午前と午後で違う劇場を掛け持ちを
初めて体験させていただきました。
実際やってみて大変でした。」
「浅草2役、歌舞伎座1役。お役は3つで歌舞伎にしては少ないのですが、
大変でした。」
質問「浅草と松竹座で松也さんと一緒になりますが、
どういう関係ですが?どういった存在ですか?」
「ボク26歳ですが、
同世代の人と1つの演目を出来るのは嬉しい。
チラシを見てボクら喜びますもん。
こんな写真大きく載っている。名前載っている。って。
初役をお客さんを飽きさせないようにするにはどうすればいいか?考えます。
錦之助さんが入って下さっていたのですが
先輩が少ない。
演出も若手が担当。
吃又のお徳は
父の襲名披露でもお徳を演じた猿之助のお兄さんに稽古をつけてもらいました。
猿之助のお兄さんに教えてもらうのは初めてだった。
「ボクの考えだけど、、、と前置きをして
近松も書いていない人物の背景を考えて演じるとよいと教えてくれました。
舞台では回想シーンをお客さんに見せられないでしょ。
「歌舞伎には型があるけど、
まず心だ。」と祖父は言います。
祖父は超越しているんです。
ボクのことを「カズ」って呼ぶんですけどね。
「カズ、気持ちはわかってるだろうからね。」って
言うんです。
祖父に教えてもらうときは緊張します。
猿之助のお兄さんは気持ちから教えてくれました。
質問「そろそろ2月の松竹座の話を。。。」
「皆さん、
チラシの方はお持ちですね。(筆者注:入り口でいただきました。)
初役なので
想像でポーズを取って撮影しました。
千本桜のお柳、大役なんです。
源平の歴史を背負っている。
典侍の局も猿之助のお兄さんに教えを請うています。
家を超えた継承もあるんだなって思いました。」
質問「台本を以前、見せていただいたことがあるんですが
すごく書き込んでいらっしゃるんですね。
曽根崎心中の時も台本4冊にビッシリ書き込んでいらっしゃって。
勉強熱心だなぁと思ったのです。」
「19歳でお初を初役で演じさせていただいたのですが、
習ったことは忘れたくないんです。
書き込みメモ魔になっているんです。」
質問「時を遡って
初お目見得のことを。
南座で初お目見得でしたね。
2歳になる前。
3代目鴈治郎の襲名興行でしたね。
上方歌舞伎への想いはずっとありましたか?」
「祖父と父が関西で歌舞伎をと強い想いを持っていたので
想い入れはありました。」
今日はココまでです。
それでは
続きは
また次回。
いいレポートありがとうございます。猿之助、壱太郎は大学の先輩・後輩ですね。歌舞伎界で大学をきっちり卒業しているのは澤瀉屋と成駒家両家の御曹司だけです。叔父の扇雀も慶応のゴルフ部の選手としても有名でした。扇雀も故中村勘三郎と故坂東三津五郎の勘九郎・八十助時代の浅草若手歌舞伎の一員として腕を磨いたのです。この縁で扇雀は平成中村座にいたと思っています。松也とも愛之助つながりで共演していますから楽しいと思いますよ。
「いいレポート」と、おっしゃっていただき、ありがとうございました。とても嬉しいです。共演回数を積み重ねることで、人間関係も濃くなりますし、良い影響を与え合うことが出来るのでしょうね。