最近
たまたま
『風俗画報』
(明治34年2月5日発行)を
入手しました。
こちらが表紙になります。
田口年信の
大阪御霊文楽座の図が
口絵になっていました。
舞台に
ズームしてみましょう。
『本朝廿四孝』が上演されています。
奥庭狐火の段と思われます。
舞台上を
よく観ると
「瑠璃灯」と「本火」がありますね。
床は
太夫ひとりに
三味線と
琴。
お客さんが
ぎゅうぎゅう詰めで
座っています。
小さい子どもも見に来ています。
桟敷席の男性のお客さんは
トンビを着ていますね。
同じ雑誌の
違うページには
花涙生が
エッセイを寄せています。
『大阪御霊文楽座』
人形浄瑠璃は、
義太夫にて人形を操るの技にて、
東京にては全く廃れたる。
(中略)
まことや、出席者の演芸に熱心にて、
客も静粛に技芸に注目せるは、
決して普通の寄席で聞く浄瑠璃でなしと、
見て来た人のお話。
(後略)
当時は
東京では人形浄瑠璃を全く興行していなかったこと。
今のように東京大阪間を気楽に行き来できなかったので
論者も、
見てきた人の話を書くという状況。
口絵と評論と合わせて
いろんなことがわかりました。