千穐楽に
寄せて、
2つ目のエッセイを書かせていただきます。
「舞台の明るさについて」
今回は、
女殺油地獄の
歌舞伎と文楽の違いを
見つけたい!
と、
目を皿のようにして、
舞台を拝見させていただきました。
「豊島屋油店の段」
一瞬にして、
違いがわかりました。
歌舞伎の「豊島屋油店の段」は、
暗い照明の中で演じます。
ところが、
文楽の「豊島屋油店の段」は、
明るい照明の中で
上演されるのです。
お人形のサイズの関係で、
照明を明るくしているのね。。。
舞台から遠い席だとお人形さんが見えにくいから。。。
と思ってたのですが、
第2部の鑓の権三の「数寄屋の段」では、
暗い照明の元で、
物語は進行します。
ということは、
お人形さんのサイズは関係なくなる。。。
ここで2つの仮説が私の中で生まれました。
その1は、
以前、ある技芸員さんがおっしゃられた、大夫さんの意向が
考えられます。
「私の語りで
舞台を明るくも暗くもできる。」
と、
舞台を照明で暗くするのを嫌う大夫さんがいらっしゃるそうです。
もう1つは、
殺しの場面のために
舞台を明るくしているのではないか?
ということです。
油にまみれて、
与兵衛がお吉を殺すシーンは、
舟底を
上手から下手へ、
下手から上手へ、
と、物凄い勢いで
与兵衛を操る3人の人形遣いさんと
お吉を操る3人の人形遣いさんが
移動します。
主遣いの勘十郎さんと和生さんは
下駄を履いてらっしゃると思います。
ここでつまづくと
緊張の糸が切れて、
物語が台無しになってしまうので、
舞台を明るくすることで、
殺しの場面の、
安全性を確保しているのではないか?
と仮説を立てました。
蛇足になりますが、
殺しのシーンの
勘十郎さんと和生さんのお顔を
ずっと凝視していました。
他の演目では、
顔に人形の感情を出さないお二人ですが、
このシーンは自然と怖い形相になっていたと思います。