二月花形歌舞伎、

大物浦で

「知盛は

平家の滅亡の因果を

仏教の六道の苦しみになぞらえて語る」

このクダリは

今の私にとって

心に響きました。

以前も

『大物浦』を見たことがありましたが、

仏教に興味が無かったので

スルーしていました。

 

しかし

今は

仏教にも興味があるので

心にひっかかっていたのです。

このムック本が

大変参考になりました。

rakugodebudda

14ページに

「六道輪廻」について、

図解と文で詳しく解説されています。

以下

抜粋

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仏教が

キリスト教やイスラム教と最も際立って違うのは

「あらゆる物事は関わりの中にある」という考え方の上に成り立っているところ。

この世にあるすべてのもの、

すべてのことは、

数限りないつながりの中で生じている一時的な状態であり、

常に刻一刻と変化している。

これが仏教の中核をなす「縁起」だ。

縁起は

「よ(因)って起こる」という意味だが、

原因と結果が一対一で対応するという単純な話ではない。

たとえば子があるのは親の結果だが、

親も子があって初めて親になる。

原因も結果も互いに関係し合って

変化し続けているのである。」

「また仏教では、車輪が回転するように死んでは生まれ変わるサイクルを

繰り返す『輪廻』を脱出し、

悟りを開くことが、

苦しみから開放される道と説く。

地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六道からなる迷いの世界をめぐるのが

輪廻転生で、

ふだん私たちがともすれば口にしてしまう罵りの言葉なども、

この名称からきている。」

引用元様「落語でブッタ」釈徹宗著

 

浄瑠璃で

知盛のセリフを確認しました。

bunrakujorurishu

のどの渇きを餓鬼道、

暴風で官女が泣き叫ぶのを阿鼻地獄、

源平の度重なる戦を修羅道、

馬の鳴き声を畜生道。

(筆者注:ここまで口語。)

今いやしき御身となり

人間の憂艱難目前に

六道の苦しみを

請給ふ。

是というふも父清盛。

(筆者注:ここまで原文。)

 

釈先生は

「落語でブッタ」の中で

たまたま親子関係を例に出されているかと

思うのですが、

今回の

二月花形歌舞伎の

大物浦では

釈先生の

「縁起」と「輪廻」の解説が

清盛と知盛の関係と

リンクして

より一層

物語が色濃く印象づけられました。

 

歌舞伎を見るには

仏教の知識は要りませんが

少し仏教の知識があると

より歌舞伎を楽しめるように思われました。