1月29日(日)

『文楽に遊ぶ』

西宮文楽探検PART20

行ってきました。

会場は

西宮市プレラホールでした。

asobu

今回は

20回を記念し、

ロビーに

「文楽に遊ぶ」PART1~19チラシ展示がありました。

開場後

すぐロビーに入ったため、

ロビー展示をゆっくり見る時間があり、

すみからすみまで

拝見しました。

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↑ ↑ ↑

何に掲載されたかわからなかったのですが、

森村暁子さんが

執筆した

「文楽人形遣い・吉田文雀師匠を偲ぶ」も掲示されていました。

 

森村暁子さんのエッセイも

最初から最後まで読ませていただきました。

割ける文字数が少ないとき

割愛されがちな

文雀さんと祖父玉市とのエピソードも

「二代吉田玉市の預かりとなって吉田和夫を名乗り」と

書かれていて、

嬉しかったです。

 

14:00

第1部「文楽に遊ぶ」20回をむかえて

幕が上がると

舞台上部に

文雀師匠が遣っていたと思われる文楽人形の大きなパネルが吊られている。

上手 お初

中央 おさゐ

下手 お駒

(フォトグラファー河原久雄さんが撮影した写真だろうか。)

文化プロデューサー河内厚郎さん登場

「今日はチケット完売です。」

「文雀さんは甲陽学院の先輩なんです。

五十嵐喜芳さんも先輩です。

甲陽学院で、

文雀さんに公演を

五十嵐さんにオペラコンサートを

甲陽学院で開催していただいたかったんです。

五十嵐さんにはコンサートをやっていだけなかったのですが、

文雀さんには文楽の公演をやっていただきました。

 

1990年平成3年に酒蔵文楽をスタート、

平成6年まで続いたんです。

ろうそくを使ったり

お酒を出したりしていたので

人気公演になり、

プレミアチケットになったりしたのですが、

翌年1月に震災があり蔵が全壊しました。

その後、復興し、蔵も建て変わりました。

 

吉田和生さん登場

上手に和生さん

下手に河内さんが座る。

河内さん「お手元のプログラムの裏にプロフィールが書かれています。

   吉田和生さんは

   今年で入門50年。

   来年で初舞台50周年になります。

   今日は「わが師匠、人間国宝・吉田文雀」とテーマがあります。

   どんな人でした?」

 

和生さん「演劇が好きでした。

    踊り、古典、芝居、、、。」

河内さん「お嬢さんも文学座に入られていますよね。」

    昭和3年生まれで

   昭和9年にお亡くなりになられた梅幸さんの舞台を見ている。

   そんな人、もう居ないんじゃないですか。

   かなり小さい時からお芝居を見ていたんでしょうね。

   大阪大空襲の時も芝居を見ていたそうです。」

   「首割(カシラわり)をされていましたが、

    首割(カシラわり)は、どんな仕事ですか?」

和生さん「公演ごとに

    この役はこのカシラと決める。

    これを決めないと床山さんが仕事が出来ない。

    通常60~70の人形の割り振りがあります。

    細かい話になるんですが、

    入門してすぐ

    最初栄三さんに弟子入りすることになっていた。

    奈良に疎開している時に亡くなられて、

    玉市さんの預かり弟子となって、

    玉市さんが首割(カシラわり)をしていたので

    入門してすぐ

    首割(カシラわり)を手伝っていたと思われます。」

河内さん「少年の時から、そんな大事な仕事をやってたんですか?」

和生さん「当時そうそうたるメンバーの中でやっていたんで、

    大変だったと思いますよ。」

 

河内さん「文雀さんの本名が塚本和男。

    和男から生まれたという意味で

    和生さんの名前が付けられました。

    和生さん、一番弟子ですよね。」

    「毎日ホールでもやってましたか?」

和生さん「毎日ホールでも短期でやっていました。」

河内さん「国立劇場ができて文楽公演が増えましたが

    文雀師匠に付いていっていましたか?」

和生さん「付いていっていました。

    武智鉄二さんとは新橋演舞場で知り合ったみたいです。

    師匠が劇場で評論していたら、

    武智さんが「面白い評論するなぁ」って言って

    師匠のことを気に入ったみたいです。

    武智さんが付いてこいっていうから付いていたら

    奥村土牛さんとこやった。」

河内さん「武智鉄二さんというのは

    変わった映画ばかり作っていた人なんですが、舞台演出家です。」

    「文五郎さんの芸風は職人。

     栄三さんの芸風はシブイと言われていました。

    文五郎の『文』と

    扇雀、今の藤十郎さんですね。

    扇雀の『雀』をとって

    『文雀』になられた。」

   「朝日座へは一緒に行っていたんですか?」

和生さん「一緒ではありません。

    先に弟子が劇場に行くんです。

    今でもそうです。」

河内さん「よく阪神電車でお会いしました。」

    「電車の中でも人形を遣っている表情でした。

    1日中芸のことを考えている人だなって思っていました」

   「昭和40年代はお客さんが少なかったのでは?」

   「師匠の当たり役は何ですか?」

和生さん「いわゆる片外し(かたはづし)と言われる役です。

    (筆者注:片外し(かたはづし)は江戸時代の御殿女中や官女たちに結われた髷(まげ)。

        笄(こうがい)に片方だけ巻き込んだ髪と平たい「つと」が特徴で、

        御殿女中の代表的な髪型だった。)【引用元様:Wikipedia】

     政岡、定高。

    立役では判官。

     沼津の平作。

     (筆者注:他にもたくさん当たり役を挙げていらっしゃいましたが、

         メモが追いつきませんでした。スミマセン。)

   玉市さんが立役でそういう役どころだったので

   覚えていた。

   よう「手ほどきの師匠の玉市さんに似ているなぁ」と言われてました。」

河内さん「立役と女形がありますが、、、」

和生さん「玉男さんは立役1本。

    ボクと勘十郎さんは女形と立役。

    勘十郎さんは女の派手な方を引き受けている」

    (筆者注:玉男さんと言ったのか玉男くんと言ったのか、

        勘十郎さんと言ったのか勘十郎くんと言ったのか覚えていません。スミマセン。)

河内さん「和生さんは品がいい。

    和生さんの当たり役は何ですか?」

和生さん「求馬とか久我之助。

   おじいさんもよくやっています。」

河内さん「文雀さんの先祖は

   芝居茶屋に、ふとんを運ぶ仕事。

   鴻池さんが芝居見物に来るとなったら

   鴻池さんの家紋のついたふとんを芝居茶屋に運んでいたそうですね。」

   「お父さんは銀行の頭取で

    かなり裕福な家庭のお生まれですね。」

和生さん「東京原宿生まれですね。

    尾上松助が遊びに来ていて

   『ぼっちゃん、芝居だけはしなさんなや。』と言ってたらしいです。」

河内さん「それは

    松助さんが芝居の世界は厳しいことを話しておきたかったんでしょうね。」

    「和生さんは愛媛県の御出身ですが

    愛媛県の内子座でも文楽の上演をしていらっしゃいますね。」

和生さん「20年前から

    8月月末の土日で上演しています。」

河内さん「永楽館でも是非、上演していただきたいですね。」

    「今後の抱負は?」

和生さん「いただいた役を務めることです。

    師匠が亡くなって半年。

    芝居の話ができないのはツライ。

    (師匠が)引退してからも芝居の話はしていました。」

   「師匠はいろんなことに興味を持っている人でした。

    お寺さん、お宮さん、美術館、博物館。。。。。。」

河内さん「近年の文楽界では最も教養のあった人でしょうね。」

和生さん「いろんな物を見て聞いて

    舞台につなげなさいって言っていました。」

河内さん「(お客さんに)お渡ししてあるチラシの中に 

    西宮文学案内というのがあるのですが、

   その第1回を

    関西学院大学でしたんですが、

   それを見て

   文楽に入門したのが今日お鶴の主遣いをする和馬くんです。」

和生さん「うちのおやっさんに手紙を出したんです。

   おやっさんに「知ってるか?」って聞かれて、、、

   大学は卒業しました。」

 

14:32まで

舞台準備

太夫三味線解説

太夫解説 豊竹希太夫さん

 浄瑠璃には節がついているので

 日本のミュージカルです。

 オペラには譜面があるが

 床本には文字だけで語りが書いてあるだけなのです。

 (私の心の中「ヤッホー、希太夫さんのお好きなオペラの話が出たよ。)

 尻引き、腰帯、落としも見せて下さいました。

 

14:49

三味線解説 鶴澤清丈さん(ただしくは丈の上に点があります。)

(待ってました!ワタシ的には文楽協会で1、2を争う面白さの清丈さん。

どなたか技芸員さんのSNSで

清丈さんが去年結婚なさったことを知っていたので、

結婚のこと話すかなぁと思いながら聞いていました。

もう冒頭から話してくれましたよ。

いい夫婦の日、に結婚したんですって。

いつものことながら

清丈さんの話、面白かったです。

 

15:04休憩

15:21

第2部上演

『傾城阿波の鳴門』より巡礼歌の段

太夫 豊竹希太夫

三味線 鶴澤清丈

お弓 主遣い 吉田和生

   左遣い 吉田玉佳

   足遣い 吉田玉延

お鶴 主遣い 吉田和馬

   左遣い 吉田玉誉

   足遣い 吉田玉峻

 

上演後、

出演者から

4月公演の告知あり

15:58終演

 

ノートに

メモをとったものを見て

レポートさせていただきました。

 

大きな間違いがありましたら、

関係者の方、

お手数ですが、

御連絡下さい。

 

以上、

古典芸能案内人

天野光(アマノヒカル)でした。