その1の続きになります。

 

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中村壱太郎レポートその1

 

(つづき)

亀岡さん「曽根崎(心中)はもちろん封印切の梅川も演じておられますよね。

  封印切では

  お祖父様は忠兵衛、

  愛之助さんは八右衛門、

  壱太郎さんは梅川。」

「お初は祖父は21歳で初役。

  今まで1300回は演じています。

  上演回数では祖父に負けるかもしれないので、

  祖父より初役を演じた年数が若い記録を作って

  19歳で初演できました(^^)。

祖父のイメージが強いので

(お客さんに)受け入れてもらえるか、、、(不安があった。)

 

亀岡さん「藤十郎さんが手取り足取り教えて下さったんですね。」

「はい。

義太夫と調和するように、とか。

決まった動作も教えてくれました。

裾捌き、かけの持ち方も教えてくれました。」

 

亀岡さん「藤十郎さんが、良かったって言って下さったんですね。」

「泣いてしまいました。

もっと出来たんじゃないか?という悔しい涙でした。」

亀岡さん「三代揃って記者会見がありましたね。」

「はい。そのとき、やっと喜びを感じました。

お初、2回目21歳の時にやって以来、

やっていないんです。

そろそろ。。。

今日、松竹の方、いらっしゃていないですね(会場見渡す。)(^^)

帯屋のお半も

祖父長右衛門で演じています。」

「女形をたくさんやっていると

相手役が変わる時

自然と演じ方が変わってきます。

同じ演目でも

配役が変わると芝居が変わる。」

亀岡さん「相手役がお父さんやお祖父様で、

     どうですか?」

「よく聞かれるんですが、

父親や祖父が相手でも恥ずかしさは感じない。

(天満屋の段で)足を頬ずりするシーンは

稽古ではガツンとやりませんけど(笑)。」

 

亀岡さん「どうして、今、女形に?」

「自分でやりたいとは言っていないんです。

例えば猿之助さんも

若い時は女形をたくさんやられていました。

今は座頭になって、

座頭と言えば

立役が多くなるんですが、

立役として活躍されておられます。

ボクも猿之助のお兄さんの若い時の

女形たくさん拝見していますけど、

それはそれはキレイでした。

愛之助のお兄さんの相手役を

永楽館、

豊岡市でやっているんですけど、、、

ここも兵庫県

永楽館も兵庫県。。。

兵庫県って広いですね。

兵庫県を通らないと

西の方に行けないという、、、(笑)

関西で女形の比重が多くなりました。

いろんな方の相手役をするのは楽しいです。

いろんな人の相手役で梅川をやると忠兵衛やるときに役に立ちます。

立役になった時に

女形の気持ちがわかる。

(立役と女形の)2人が舞台に立った時、

どちらもキレイに見えるポーズがわかります。

亀岡さん「愛之助さんも

  こんな小さい男の子が将来、自分の相手役を

  お勤めになられるとは、

  想像していなかったでしょうね。」

「そうですね。

今、26歳のボクでも

今月勧進帳の太刀持ちで出ている祥馬くんを見て、

大きくなったなぁ、って思うんですから(笑)」

 

亀岡さん「ビックリするような演目。

例えばシスティーナ歌舞伎で『美女と野獣』をやっている。

それについてはどうですか?」

「上村吉弥さんがスタートで

和と洋がコンセプト。」

「愛之助のお兄さんが

ココ、歌えるんじゃないかと気づいてしまった。(笑)」

「ボク、そうとうヒドかったですね。」

「一種の罰ゲームみたいなもの。(笑)」

「立ち稽古の時にですね。

『ここ、カズくん歌って!』と演出の先生から

突然指示が出たんです。

亀岡さん質問「もっとも印象的なお役は?」

「最近のになってしまうのですが、、、

昨日までやっていたお徳。

お客さんに聞こえないセリフでも

芝居ができる。

死ぬ間際のセリフを

お客さんに想像してもらうのも

やり方。

もちろん

セリフを

お客さんに聞かせる演出もありです。」

「写実的になりすぎるな、ということを

常に意識しています。」

 

あ~、

タイムリミットです。

 

レポートその3に続きます。

 

ゴメンナサイm(_ _)m