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アップしました。
bunraku.machiaruki.flyer.2017
ここでは、
講義編と称して
はなはだ簡単ではございますが、
 
宗教学者の釈徹宗先生の解説を書かせていただきます。
 
集合場所
四天王寺南大門前にて
 
「南に正門があるのは
観音信仰から
来ています。」
 
(私の心の中、
うわー、一昨日見た
『壺坂観音霊験記』も
観音信仰やった。
観音様って広く信仰されてるんやなぁ。)
 
まちあるきの道中では
参加者が全員集まっての講義は無いということで、
道々、
個人的に質問に答えて下さいました。
 
私「こんにゃく問答は
  作者が僧侶だったことから発生したのですか?」
(筆者注:釈先生は相愛大学の公開講座で
     落語「こんにゃく問答」を取り上げて
     仏教との関係を解説して下さいました。)
釈先生「沙弥(しゃみ)ですね。
   二代目林家正蔵は沙弥托善という名前を持っていました。」
私「落語の作り方が気になるんですが、
  五戒という意味を知った上で肉付けされたものでしょうか?」
釈先生「正蔵のオリジナルがどの部分なのか、記録が無いのです。
   二代目正蔵以降、肉付け改変が続けられたのです。
   五戒や三尊の意味を知っているのは必要ですが、、、」
 
最終目的地
鬼鳥庵(きちょうあん)に着くと
椅子に本日の講義の資料
A4、2ページ綴じが置いてありました。
タイトル
『まち歩き「文楽」ゆかりの土地ー摂州合邦辻(下)ー』
 
15:50開始
【1】上町台地
 
大阪の宗教的背骨
 四天王寺の上町台地だけ海没していない場所
 半島みたいになっている。
 古代人は突端を聖地として考えていたので、
 突端には住まなかった。
 
【2】四天王寺とその周辺
・聖徳太子が難波の荒陵(あらはか)に四天王寺造立(593年)
・四箇院
 「敬田院」
 「施薬院」
 「療病院」
 「悲田院」・・・金銭的に普通に暮らすのが難しい人が暮らす場所
・河内三太子
・天王寺垣内、垣外
・天王寺村・・・芸能関係者が住んでいた。
 
【3】文楽の成立
 
◆文楽「摂州合邦辻」
 玉手の湧き水・・・大阪は水があまり良くない所だった。
 勧進とは寄付を集める行為のこと。
  お能や狂言は勧進で発展した芸能
 勧進聖(かんじんひじり)・・・勧進しながら芸を見せていた人
 玉手の生き血を飲ませば、俊徳の病気が治る
(筆者注:摂州合邦辻では
 寅の年寅の月寅の刻生まれの肝臓の生き血を飲ませると
 俊徳の大病が治るという設定。
 玉手が寅の年寅の月寅の刻生まれ。)
 民間信仰で、よくあった、
 ◯年の◯月◯の時生まれの生き血を飲ませれば治るという信仰。
 浄土宗尼僧の寺「月江寺」
 浮無瀬(うかむせ)料理屋
 大盃のお酒を飲み干せば帳面に名前を載せてもらえる。
 浮瀬について詳しく書かれたホームページ
↓ ↓ ↓
 
床本の最後の部分を読んでみましょう。
 逆さまごと・・・別れ
 善知識・・・(仏教用語)私を導いてくれる人
 
合邦が辻
 国(邦)が合う、ですね。
 意味が2つ、あります。
 ①領地と領地の境目
 ②(仏教用語)仏教を習得した
 
◆俊徳丸の物語と芸能
(1)能「弱法師」
 俊徳丸の父親は俊徳丸に
 四天王寺の西門で日想観をすすめる。
 息子は目が見えないのに、
「見える、見える」と言って西の日の話をする。
 
(2)説経節「しんとく丸(信徳丸)」
(3)歌舞伎「摂州合邦辻」
 
(4)落語「弱法師」
 
(5)河内音頭「俊徳丸」
 
(6)近代文学
 折口信夫『身毒丸』
 三島由紀夫『弱法師』
 
どこが原型でバリエーションが広がったか?
釈先生の解釈
①世の中からはみ出した人が暮らせる場所
 弱者の集う地
 ・病気の息子
 
②救済の物語
 信仰心による救い
 四天王寺の西門に代表される日想観
(落ちる夕日と阿弥陀仏の浄土)
 
物語の場所を歩く大切さ
 上町台地の突端は聖なる場所
 
物語があるからそこが聖地となる。
その土地を歩きながら、
どれほどの生と死があったのか?
 
16:25
釈先生と吉田和生師匠のトーク
 
釈先生「疲れたんじゃないですか?」
和生師匠「いつも仕事で歩いていますから大丈夫です。」
釈先生「高くて重い下駄を履いて人形を遣っておられますものね。」
釈先生「ゆかりの土地に行かれたりしますか?」
和生師匠「文楽劇場からPRを兼ねて行くこともありますし、
    個人的に行くこともあります。」
釈先生「よく担当されたお役は?」
和生師匠「浅香姫、俊徳、合邦、玉手、、、
    全部やりました。」
和生師匠「日想観だけでは文楽にならない。」
釈先生「お能は日想観ですが、
    (文楽は)動かないといけませんからね。」
和生師匠「作者は大坂の地名を上手に使っている。
    (筆者注:作品のできた年代を鑑みて敢えて【大坂】と表記させていただきました。)
     俊徳道、浅香山、、、近鉄沿線の人に馴染みの駅名です。」
    「高安、玉手も地名です。」(筆者注:私はフェイスブックフレンドさんの投稿で知りました。
    対談中に高安、玉手が出てきたか?覚えていません。)
釈先生「月江寺は江戸時代から文人がよく集っていた場所です。」
和生師匠「毒酒を飲ませた鮑(あわび)の貝殻と
     生き血を飲ませる鮑(あわび)の貝殻は同じでないといけない。
     玉手は、ずっと持っているんです。」
釈先生「よく言われることなんですが、
    玉手は本当に俊徳丸のことが好きだったのでしょうか?」
和生師匠は、ここで答えて下さいましたが、
和生師匠の演技プランに関わることなので
筆者の判断で割愛させていただきます。
 
釈先生「好きな役は?」
和生師匠はカシラの名前で答えて下さいました。こちらも筆者判断で割愛させていただきます。
 
釈先生「今日はまだ文楽を見たことが無い人も来られています。
    師匠からメッセージを、、、」
和生師匠「お芝居なので気楽に見て下さい。
     セリフは入りやすいと思いますが
     節(ふし)が、なかなか入ってこないと思います。
    プログラムで前もってアラスジを読んでおくと良いです。」
 
   「分かりやすいのと分かりにくいのがあるので、
    3回ぐらい見に来て、って、いつも言っています。」
   「感性の問題ですね。
    音楽と一緒です。
    クラッシック音楽が好みの人が居るし、
    演歌が好きな人も居る。
    相性の問題。。。」
釈先生「初心者にオススメは?」
和生師匠「個人個人によって違いますからね。」
 
和生師匠「眠くなっても良いです。
   不眠症の人に言っています。
   不眠に効くから、どうぞ。って。」
 
(筆者注:下手な太夫さんが語ると眠れない。
     「上手い太夫さんだからこそ、眠りを誘う心地良さがある」と
     都市伝説があります。)
 
釈先生「11月オススメのポイントは?」
和生師匠「清正さんの話です。
     史実とは違います。
     (鑓の)権左は、
     近松の作品で最初からラストまで上演するので分りやすいでしょう。」
釈先生「夜の部は心中宵庚申ですね。」
 
16:42ごろ終了
 
【筆者あとがき】
釈先生と吉田和生師匠との町歩きということで、
ずっと興奮していました。
一晩経って落ち着いて考えてみました。
文楽ファンに問います。
摂州合邦辻のアラスジを一言で言って下さい、と
言われると、どのように言うでしょうか?
ここに一言で表した書籍があります。
「合邦が娘玉手が義理の子俊徳丸を助ける計画を、
不倫の恋と誤解して殺す」
(文楽 講談社 昭和34年3月25日発行)
摂州合邦辻を説明するときに
【不倫の恋】が先走りし過ぎていることにやっと気付きました。
義理の息子に恋するとは、
なんとスキャンダラスなストーリーでしょうか?
しかし裏には
愛の無い結婚があったのです。
玉手の前名は
お辻、、、
高安左衛門の腰元だったのです。
腰元の身分で大名の求婚を断れるはずがありません。
高安は俊徳丸の父ですから、
玉手より、ウンと年上の男性だったのでしょう。
玉手は20歳前、
俊徳丸は息子と言えど、
17、8歳。
本気で恋して、
この人の命を守るなら
我が生命を投げ出しても惜しくないと思ったのです。
今まで
エゴイスティックな女性の
自己愛の物語と思っていましたが
釈先生の弱者の集う場所、
救済の物語、、、という解釈を重ね合わせて
封建社会に生きる
悲しくも
幸せな女性の物語に思えてきました。
 
ゆかりの土地を歩くことで
作品感が180度変わって驚いている次第です。
古典芸能案内人
天野光(アマノヒカル)でした。
 
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